はじめに
現在のVRヘッドセットを比較すると、
- 解像度
- 視野角(Field of View)
- リフレッシュレート
- トラッキング精度
などのスペックが並びます。
しかし、VR研究者たちが本当に知りたかったのは単なるハードウェア性能ではありません。
彼らが追究してきたのは、
「人はなぜ仮想世界を現実のように感じるのか」
という問いでした。
そのため、VR研究の歴史ではさまざまな品質指標が提案されてきました。
本記事では代表的な研究を振り返りながら、「良いVRとは何か」という問いの変遷をたどります。
学習目標
本記事を読むことで、
- VR品質評価の代表的な研究を説明できる
- Sheridan、Zeltzer、Burdeaらの考え方を理解できる
- PresenceとImmersionの位置づけを理解できる
- 現代XR研究における品質評価の考え方を説明できる
ことを目標とします。
1. VR品質評価の始まり
1980年代から1990年代初頭にかけて、VR研究は主に工学的な課題に焦点を当てていました。
当時の研究者たちの関心は、
- どれだけリアルな映像を提示できるか
- どれだけ正確に頭部を追跡できるか
- どれだけ自然な操作ができるか
という技術的な問題でした。
しかし次第に、
「VRの良さとは何なのか」
という根本的な問いが研究されるようになります。
2. Sheridan(1992)
Telepresenceの三要素
Thomas Sheridanは、VRや遠隔操作システムにおいて重要な要素として次の三つを挙げました。
- 感覚情報の豊かさ
- 環境を操作できる能力
- 環境の自律性
Sheridanの視点
Sheridanの特徴は、
VRを遠隔操作(Teleoperation)の延長として考えたことです。
当時の研究では、
- 遠隔ロボット
- 宇宙作業
- 危険環境作業
などが重要な応用分野でした。
そのため、
「ユーザーが遠隔環境をどれだけ自然に認識し操作できるか」
が評価の中心でした。
3. Zeltzer(1994)
AIPモデル
Jonathan ZeltzerはVRを構成する三つの要素として、
- Autonomy(自律性)
- Interaction(相互作用)
- Presence(存在)
を提案しました。
これが有名なAIPモデルです。
AIPモデルの特徴
このモデルでは、
単に映像を見せるだけではVRとは言えません。
VR世界には、
- 自律的に動く世界
- ユーザーとの相互作用
- 世界の存在感
が必要だと考えました。
ここではすでに、
「システム性能」よりも「世界そのもの」に関心が移っています。
4. Burdea & Coiffet(2003)
3Iモデル
VRを説明するモデルとして最も有名なのが、
BurdeaとCoiffetによる3Iモデルです。
構成要素は、
- Immersion(没入)
- Interaction(相互作用)
- Imagination(想像力)
です。
Immersion
ユーザーを仮想世界へ引き込む能力。
例:
- 広視野角
- 高解像度
- 立体視
- 空間音響
Interaction
仮想世界との相互作用。
例:
- コントローラ操作
- ハンドトラッキング
- 物理シミュレーション
Imagination
利用者自身が世界を受け入れ、意味を見出す能力。
なぜImaginationが重要なのか
たとえば小説を読んでいても、人はその世界に没入できます。
これは技術だけでなく、人間の想像力が体験を完成させているからです。
Burdeaらは、
VR体験は機械だけで作られるものではない
と考えました。
5. Presence研究の発展
1990年代後半から2000年代にかけて、
Presence研究が急速に発展します。
Presenceとは、
「そこにいると感じる感覚」
です。
英語では、
“Sense of Being There”
と表現されます。
PresenceとImmersionの違い
Mel SlaterとSylvia Wilburは1997年、
ImmersionとPresenceを区別することを提案しました。
Immersion
システム側の客観的特性
例:
- 解像度
- 視野角
- トラッキング精度
Presence
利用者側の主観的体験
例:
- 本当にその場にいる感覚
- 仮想世界の実在感
この区別は現在でも広く受け入れられています。
このあたりの深堀りは、こちらの記事を参照ください
PresenceとImmersionの研究史
6. 日本のVR研究における整理
日本語の代表的教科書である『バーチャルリアリティ学』では、
VRの特徴として
- 臨場感
- 自己投射性
- インタラクション
などが重視されています。
ここでは工学だけでなく、
- 認知科学
- 心理学
- 人間工学
の視点が強く取り入れられています。
7. Chalmers(2017)
仮想世界は本当に現実ではないのか
哲学者David Chalmersは、
VRに関する議論をさらに発展させました。
彼は、
「仮想世界での経験も現実の経験である」
と主張します。
評価軸の変化
ここでは、
「どれだけ現実に似ているか」
ではなく、
「その体験に意味があるか」
という問いへと関心が移ります。
これは従来の工学的評価とは大きく異なる視点です。
8. VR品質指標はどのように進化したのか
研究史を振り返ると、
VR研究者たちの関心は次のように変化しています。
| 時代 | 主な関心 |
|---|---|
| 1990年代前半 | システム性能 |
| 1990年代前半 | 世界の構造 |
| 2000年代 | 没入と体験 |
| 2000年代 | Presence |
| 2010年代 | 身体性 |
| 現代 | 体験の価値 |
図式化すると、
システム
↓
世界
↓
体験
↓
存在感
↓
身体性
↓
意味
という流れになります。
9. 現代XR研究における品質評価
現在のXR研究では、
従来のImmersionやPresenceに加え、
- Body Ownership
- Agency
- Embodiment
- Social Presence
- Co-Presence
などが重要な研究対象となっています。
Body Ownership
この身体は自分のものであるという感覚。
Agency
自分が行動を起こしているという感覚。
Social Presence
他者が本当にそこにいると感じる感覚。
つまり現代のXR研究では、
単なる映像品質ではなく、
人間がどのように世界や身体を認識するか
が評価対象となっています。
まとめ
VR研究の歴史は、
「良い装置とは何か」
を追究する歴史から、
「良い体験とは何か」
を追究する歴史へと発展してきました。
Sheridanはシステムを見ていました。
Zeltzerは仮想世界を見ていました。
Burdeaは体験を見ていました。
Presence研究は人間の知覚を見ていました。
そして現代のXR研究は、
人間がどのように身体や世界を認識するのかという根本的な問いへ向かっています。
VR品質指標の研究史とは、
単なる技術評価の歴史ではなく、
「人間にとって現実とは何か」
を探究してきた歴史でもあるのです。
